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亜人間都市『語りえぬもの』稽古場レポート 01

 朝倉憩 2017/08/27

『語りえぬもの』ドキュメント、朝倉憩さんによる稽古場レポートシリーズ。


稽古場レポートでは、朝倉さんに第三者の視点から亜人間都市の稽古場で何が起こっているのかを言語化していただきました。今回のレポートでは、演出のコミュニケーションを分析をしていただいています。

8月27日

 

 本ユニットの公演を観に行くにつけ、「どうしてこの人たちはこんな妙な動きをしながら喋るのだろう……」という素朴な疑問を抱くのだが、この稽古場で問われ続けているものこそ、まさにそのような問題に他ならない。明らかに意図的な設計の施された、狭義のリアリズムからはほど遠い身振り。視線の交わらない、双方どこか上の空の会話、その語り口。亜人間都市の観客の誰しもが、登場人物たちの心が多分に我々の側になく、何らかの抗い難い力によってその体を操られている、という印象を少なからず受けるのではないだろうか。私の関心は、そんな彼らの所作に一体どのようなタスクが課せられているのかを目撃することにあった。しかし、今回、新作の制作現場を見学するにあたって感じたのは、どうやら、そうした身体をこちらに呈示する俳優たちこそが、むしろ最も強くそうした疑問を抱いているらしいということである。

 

 今作のキャストは四名。現段階では主として、演出家による個人レッスンのような稽古を、一人につき数十分をかけて、ローテーションで進めていくというやり方をとっていた。俳優は自分の番が来ると、与えられたテキストに対する自分なりの振り付けを伴って、その発話を試みる。他の者もみな隅でそれを見ている。そこに、演出の黒木からのコメントが随時投げ掛けられていくのだが、その際に用いられる言葉というのが、非常に抽象的でありながら、一周回ってむしろ具体的であるようにも思われる、何とも捉えがたいものなのである。

 

 黒木により、俳優のやってみせた一連のシーンは細かく分節化され、些細な点まで徹底的に指摘されていく。単純に、気になった箇所に対する追求の度合がかなり執拗であることのほか、興味深いのはその指摘の抽象度かもしれない。「そこの動作を始めるタイミングが」「こうしているときの目線の所在が」、と、紛れもない一箇所をピンポイントで鋭く挙げるのだが、しかし、それをどうするかについての指示は突如としてフワッとするのである。「それがなんだか気持ち悪い」「もう少しこっち(観客)側に来てほしい」「もっとしっくりくる所がある気がする」、など。これは一見すると、彼個人の感覚に忠実であるよう努めた結果むしろ漠然とした形容になった、という、抽象がむしろ現実に近いといったような感覚に似ている。しかし、どちらかというと私には、結局のところ彼が何も言っていないかのように感じられたのであった(あくまで個人的な感想です)。黒木はあくまで、目を向けるべき箇所を例示しているだけなのであって、それをどの方向へ持っていくべきかという指図をしたいわけでは、そもそもないのではないか? そして、「そこちょっと気になる」といった類の、これら微妙な言い回しは、むしろその判断が妥当ではない可能性を強く匂わせるために、結果として受け手自身の選択を促すことになる。というのも、考えてみれば稽古場というのは極めて特異な場所であって、ここではあらゆる言葉への解釈行為が半ば強制されている。投げ掛けられたのがいかに曖昧な言葉であったとしても、それを解釈することへの、ほとんど義務に近いものを負っているのが俳優たちである。彼らが演出家の言わんとすることを見極めるために何をするのかと言えば、すなわちそれを自己の内側で受肉させるのである。だから、これは一般的に言えることかもしれないが、相手の指摘していることがよくわかる/わからないというのは、自身の視界の中に相応する具体物を見出せたかどうかに依ることなのであって、そういう意味で、ここでの黒木の言葉は抽象的かつ具体的なのである(傍でただ聞いている私でさえ、自分なりの解釈を見つけることがある)。重要なのは、彼が何を指摘しているかではなく、俳優がそこに何を見出すか、ということなのかもしれない。

 

 これらの非限定的な言葉は、次第に俳優への質問へと形を変えていく。「それやってるとき、どんなことを思ってる?」すると、ここで問われているものが、まさに我々観客が舞台上の彼らに抱いていた、「なぜこの言葉に際してその動きをするのか?」という例の疑問と相違のないことに気が付く。この稽古場で次々と切り出されていくあらゆる視点とは、全て、俳優自らの答えを導き出すための契機に他ならないのであり、そうして引き出された答えとはすなわち、彼らの作り出す新しい身振りへと据えられる、説得力を持った、動作の根拠なのである。言葉をもとに動いてみる→その内実を吟味する→それにより再び動きを裏付ける。一見するとこれは循環しているだけの無意味な工程と捉えられなくもない。しかしこの極度に厳密な手順を踏んでいく作業こそ、彼らの、言葉と動作との関係をひとつひとつ紐解き再構築するという手法の根幹であると言える。例の独特の不可解さを持った発話と身振りは、他ならぬこのシステムの過程で生まれ出てくるのであるが、一方でまた、ここに新たな疑問が浮かぶことになる。彼らがそうして新しい表現形態を作り出しているとして、それはつまり、一体何をしているということになるのであろうか?

 

 言葉、身体、異化。舞台芸術において長らく問われ続けてきている、あまりにも古参な主題である。我々が、亜人間都市が見せるそれらを通じて触れることができるものとは何なのか? あるいは、彼らは何かもっと遠い何かに肉迫しようとしているのかもしれない。この稽古場レポートではもう少しだけ、そのあたりのことついて考えてみたい。

​……次回へつづく

亜人間都市『語りえぬもの』

2017年10月6日 - 9日 於 早稲田小劇場どらま館

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『語りえぬもの』ドキュメント
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