東京ノートをめぐる
緩やかな書簡 3
2019/02/02 22:19 渕上夏帆
地元茨城県での公演を終えて東京に戻ってきました。申し訳ないけどわたしは東京が好きです。
東京大好き。ただいま東京。
東京ノートの稽古に復帰しました。同世代ばかりの、そして自分が年上となる現場は本当に久しぶりで。いままでどこにいっても「最年少」なことが多くて、それをまぁ都合よく使ってきた。もっといい使いかたをすればよかったなぁといつも思います。時すでにおすし。
東京に出てきた。大学を卒業した。
あれよあれよと言う間に24ちゃいになった。
それでもまだ女子大の友達はわたしのことを「るんるん」とか「るんたん」と呼ぶ。
わたしはまだ演劇を続けている。
年をとって羨望やら反骨精神やらがだんだん薄れてきた。そんな自分をようやく許せるようになった。
与えられる人から与える人になりたいと思うようになった。
わたしは沢山の、本当に沢山のきっかけやチャンスをもらってきた。だから次の世代の人たちにもいい場所をつくってあげたいなぁとか、残してあげたいなぁとか強く思う。わたしに何ができるかな。こんなちんちくりんがおこがましいかな。
人のために生きれるようになりたいなぁ。
なんてことを人の金で肉を食いながら考えていました。
普段紙みたいな肉しか食べてないから、感想がおいしいしか言えなくて怒られちゃった。
みんなはこういうときどうしますか?
書簡、こんなんでいいのかな。
失礼しました。
明日も稽古だね。
ふちがみふちこっぴ
2019年1月31日 夜ご飯はいい焼肉。
2019/02/05 21:45 本田百音
いまは、期限が切れてしまって、大学の図書館に本を返しに行った帰りで、茅場町駅の工事途中の混みあった東西線ホームを歩いているんですけれど、ふと、ここで立ち止まってみようかと思って、これ、最近多々思うんですけど、結局一度も止まれてません。これは、言葉も交わさず押しのけてぶつかってくるような、人間が駒にでも見えているのではないかしら、というさっきのおじさんへの反抗なんですけど、それを実行できずにいる私はまだ、私の中にもいる人間を駒として見るようなおじさん的私にすら勝利していない!んです。ここで止まるのはおかしい!と思うことが払拭できずにいるのは、私もまた人を駒としてみるような視点を持っているからで、こんな視点の中では、「私の」横を通り過ぎる人、「私の」前を歩く人、「私の」後ろを歩く人、一人一人の存在について思うことなどないんですね。みんな「私の周りをただ歩く人々」で、駅のホームは「私の」世界の中心他となり他人はその景色となってしまって、そしてそれは私だけに限ったことではなく、このエレベーター、エスカレーターだっけ、あの、箱の方ではない方ですね、私の後頭部が視界に入る、後ろの背の高い彼は彼でその「彼の」世界の中に引きこもって、例えば私は「前の小さい女のただの後頭部」とかになる。前の人も、上を行く人も、みんなそんな風な目線で、茅場町は無数の一人称世界が広がって、誰も私を見ていないし、私も誰をも見ていない。そんなのに気づいて?しまうときに、立ち止まろうか、と思ってしまうわけです。たぶん。あ、もういまは日比谷線のホームなんですけど、これを反社会的とでも言うのかしらんと思います。けれどなんでこの流れに反抗しようとなど思うのか。老子は「無名天地之始」と言うけれど、名もない私がそうさせるのかもしれない!そうすると、社会的というのは、名をつける時点で始まるものでしょうか。そうすると、名のない領域というのがこの世に存在して、例えば、わたしがこんな風に言葉を使って思考している間、思考せずに存在するわたしもいるわけで、例えば、それは、こうしている間に横のおじさんが鼻をすすったとか、右前に座る大体うすい紫色でキメてる女性が人差し指を鼻に置いてることとか、こんな風に書き起こす以前は、これらは名もない領域に在ったということで。いまは日比谷線で、銀座を通り過ぎたところです。なんだか、本当に全くよくわからなくなってきたけれど、よくわからなくなっている今この瞬間の私にも名のない私は付きまとうわけで、付きまとう、というより、もともと私は名のないものとして生まれて?、それを社会に「赤ちゃん」と名づけられ、「本田百音」と両親に名付けられていくうちに、名のある私がどんどんと付加されて、私も名のあるものを紡いでいくようになる、そんなようなものなのかもしれない!こんなふうに書いてしまっている時点で「立ち止まる」ことは、私にとってもはや名のない領域とは言えなくなってしまったかもしれない?ですね。まだ霞ヶ関です。えー、東京のホームはギスギスしてるも私は思ってる。ということです。
2019/02/16 12:27 長沼航
みなさま
稽古お疲れ様です。昨日までの11日間、3つの作品の稽古場を代わる代わる行き来する毎日でした。自分的にはまだよくわからない演技のことをいろいろ考えられて良い日々になりました。4日目からなんとなく記録を取っていたので、今回はそれを書簡ということにしたいと思います。
2/8
連続稽古4日目。せっかくなので記録を取ることにする。 図書館で仮眠をとって、少し寝すぎて数分遅れて稽古場に着く。 台詞が言えてしまうことの解決を目指すもあまりうまくいかない。色々考えても実際にシーンをやると吹き飛んでしまうのでもう少し考えてからやりなよ君は。串本の台詞を担うときの居方がまだはっきりしない。あそこは面白い(からこそ惜しい)と言われてひとまず安心する。ブラッシュアップしつつ他の部分も考えたい。自分がその場でどんな働きをしているか/するべきかに敏感になろう。 「面白かったですよ、割と」なんて言わないよ絶対。 明日までに覚えなければならない台詞を帰りの電車で頑張って入れる。
2/9 散策者の稽古に向かう。朝、テキストを覚えていたら改訂版が送られてきた。序盤が結構変わってるやんけ。 昨日、台詞を忘れてるところの方が面白いと言われたのを思い出す。そういえば、そのときは自分の頭の中もグルグルしてたし畠山さんのことも見てたしそこから影響を受けてた気がする。他の部分でも藏下さんや畠山さんを見ようという意識はあったけど、ただ見ただけだったのかな。 実際に動いて台詞を言ってみる。一昨日より微妙な感じ。他者と関係しながら在るのは難しいしなおかつ軽く存在するのはもっと大変。
地点はすごいというのと「難しい」と「鈴鹿サーキット」の語感が似ているという話になる。何言ってんだか。
2/10 人生設計ミスで10分遅刻。普通に出かける用意だけをすれば間に合う時間に起きたので寝坊という自覚はないけれど、結局違うことをしてしまって乗るべき電車に乗れない。多分もっと早く起きるべき。そして、稽古場に着いたら今日は違う場所。悲しい。人生が横浜駅。
収穫の多い稽古だった気がする。自分の身体のあり方がその場での態度や居方としてのものだったと指摘してもらい確かにそうだとなる。それはそれとして受け止めつつ、いまできていない軸/体幹に変化をもたらすような身体の開発を目指す。
帰りの電車で人のことをすごく観てしまう。鉄の棒で囲われた座席はなんだか映画のスクリーンみたいだ。
2/11
ウンゲツィーファを観てから小田さんの稽古へ。台詞と距離があるよと指摘される。自分の言葉として台詞を言うことを忘れていることに気づく。そういうタイミングがあっても良いんだよな。 早めに稽古を切り上げてご飯を食べに行く。時間の独特な流れ方に慣れてきた。氷を食べるときってあんな煎餅みたいな音がするのか。
今日はサクッと風呂に入って寝よう。明日に備えよう。
結局寝たのは1時半過ぎ。
2/12 ひたすら歩いたり止まったりしている。なんだこれはと思いつつも、やることは多くある。 初めて山手でラーメンを食べる。ゆき。ちょっと私には脂っこかった。やっぱり塩派。空間現代行きたかったね。
2/13 たぶんすごく疲れている。一回朝目覚めてバイトに行こうかと思ったが全く気力が出ずに寝る。お金を稼がずに使い続けるのは不安だけど、今週は行こうと思って行ってない公演ばかりなのだから寝ててもいいじゃない。 根拠を持って舞台に立とう/動こうと思うと何も出来なくなってしまう。そうすると結局自分の中のことだけになってしまうのね。不確定なものと関係を取り結ぶ。 他の人の話を聞いているとやっぱり張ってるアンテナの数と強度が全然違う。自分にできる範囲内で努力はしよう。 緊張感が偽物みたいなことを言われたけど、たぶん周りと関係するときの回路(と認識できているもの)がひとつしかなくて全部そこを通して増幅しようとするからなんだろうなとお風呂で思う。ふえ〜〜〜。
2/14 バレンタインデーだ。 散策者稽古。今日は割と暇。暇だからといって疲れないわけではない。 早抜けして藝大の打楽器アンサンブルを聴きにいく。クセナキスもライヒも全体の響きと個々の楽器の動きを聴こうと思うと脳がショートする。その感覚が演劇しているときに作れると良いなあなどと思う。
2/15 かけうどん(並)を食べながら増田さんが撮ってくれた稽古の映像をみる。おめぇ、めっちゃ動いてんなぁ!わけわっかんねぇぞ!業務用移動って良い言葉。ふと外をみたら雪降ってる。びっくり。
ちょっと前に稽古場に着く。近所の女子小学生が談話コーナーで遊んでる。怖い。受付の人が「和室で合気道はしてよいのか」を議論している。柔道も百人一首も畳がダメになるのでしてはいけないらしい。公共施設は大変。
なんか今日はめっちゃ稽古した感がある。シーンをまたいでやると楽しいし色んなことを考えなきゃならん。 こっちで情報量増やしすぎると結局お客さんにはよくわからない何にも見えないもの=情報量ゼロとして届いてしまうってことを感じた。「態度」という言葉をかけられる原理がわかった気がする。 シンプルに、したたかに。少しだけ視野が広がった感じがするので、もっと他の人にというかもう少し広く他者に?、影響を与える気概を持ちたい。
これで連続稽古終了。疲れたけど楽しかった。しっかり寝て明後日の稽古に備えよ〜。でも、明日10時にはバイトに行きたいな。早く寝よ〜。
結局寝たのは1時半過ぎ。
2019/02/18 18:44 黒木洋平
黒木です。みなさんの書簡を読んでます。それぞれ触れられない時間が描かれていて、僕はその時間のことを想像します。直接会っていると時々忘れる、そういうの、そういう時間があることを。演技を見るときはできるだけ、目に見えたものから判断しようとするからかもしれません。でもその向こうには、確かに別な時間がある。触れられない。想像するしかない。
久々に演技をすることになって、再発見したことがあります。それは想像するということが、決して「戯曲を想像する」というだけではないこと。それだけでは足りない、自分のことだけでは片手落ち、他の俳優のこと、誰がどの台詞からどんな演技を作りうるのか、そしてそれをお客さんが見たときどう感じうるか、そこで自分はどう在るべきか? とまで想像して初めて自分の演技について考えられるのだということ。当たり前のこと? かも。でも、俳優でない僕には、大きな気づきでした。
TPAM演目の開演待ちで3時間、KAATのロビーにいるときにそのことを考えていて、KAATまでは元町中華街から日本通り駅のほうまで、海辺を通って、横浜の海を見ながら、打ち付ける波の音と、穏やかな時間。太陽を求めてわたしは沖縄に行くことにしたのだった。沖縄誰か一緒に行かない? 那覇で 「イスラ」の公演があるらしい。そういえば人と旅行に行ったことがない。出不精だから。人の話を聞くと羨ましい。僕も旅先で連れと喧嘩したりしてみたい。行きたい先もペースも違って、こいつとは馬が合わないなと思いながら、人と旅行に、沖縄に、太陽を求めて、誰か一緒に? 出不精だから。
ひと月前、大学最後のレポートに沖縄のことを書いた。福島の原発問題と沖縄の基地問題は同型で、構造的暴力がそこに働いている。震災以降の東北には結局行っていない。行きたい気持ちはあったが、行くことはなかった。沖縄にも結局行かれないかもしれない。遠いその当事者性に簡単には触れられない。僕が行けたのはグアムで兄の結婚式だけだ。ホテルでずっと海を見ていた。一昨日も「世界ふれあい街歩き」でハワイの海を見た。地元香川県の海は、瀬戸内海は、外海と雰囲気がやや異なる。僕は香川の中でも山のほうに住んでいたので、海には憧れがあります。
故郷を追われること、また追われた人々のことをディアスポラと言う。これは今朝のこと、「地元を離れいま拠り所のない私たちはディアスポラだ」と人と話していた。ディアスポラの私(たち)はこうして東京にいる。こうして青山にいる。人に頂いた食事券でフランス料理を食べている。いいご身分。窓の外で植物が、しかし地上6階のテラスに上辺だけで植わっている。食事は美味い。なのに来月の生活がどんどん不安だ。私もまた何かの当事者だろうか? 俳優でない僕は。誰か一緒に? 想像する。世界ふれあい街歩き。沖縄のこと。東京のこと。あなかしこ。