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東京ノートをめぐる

緩やかな書簡  2

2019/01/14 18:19 長沼航

 


こんばんは。書簡を書いています。長沼航です。
昨晩、すなわちこないだの稽古が終わった後に大学の友人とテスト勉強をした。そして、勉強を終えて家で待つ母親に帰宅する旨のラインを入れると39℃の発熱だとの返信。
今度の稽古、初めて出演者が全員揃う予定だというのに前途多難です。
さて、もし僕が母親からウイルスをもらうことなく水曜日稽古場にたどり着けた暁には串本の演説シーンをやりたいです。
p.145の最後の串本のセリフからp.149までをなんとなく黙読/音読しておいてもらえるといいかなと思います、多分覚える必要はないです、余裕も多分ないでしょうし。
基本的には「串本を分散/散逸させる」ないし「俳優の身体に串本が到来する」みたいなことをやりたいということだけお伝えしておきます。

 

以下、今日書いた文章、5つです。


演劇に出演すると友人に告げると「どんな役をやるの?」と素朴に聞かれて困る。
「役とかそういうんじゃないんだよ」と言うと何だかムツカシイことをやっているのだと思われそうで嫌だし、
かといって私が舞台上で台詞を発することを「役を演じる」と表現するのも居心地が悪い。
結局「観に来ればわかるよ」と直接の応答を回避してしまう。
けれど、それは観に来てもらうためには意外と一番強いやり方なので意外と良い方法なのかもしれない。


テレビから勇気100%が流れており、それを聞く。
King & Princeが歌っているが、ちょっとかっこよすぎる。
この曲はもっと地声っぽく歌われるべきだ。
そのほうが勇気100%というばかばかしいほどの真っ直ぐさが伝わる。
それにしてもいい曲だ。おかしいくらいいい曲だ。

   そうさ100%勇気

   もうがんばるしかないさ
   この世界中の元気 抱きしめながら
   そうさ100%勇気 もうやりきるしかないさ

   ぼくたちが持てる輝き 永遠に忘れないでね

松井五郎の詞もよければ、馬飼野康二の曲もべらぼうによい。
小屋入り中に絶対に聴くと決めた。とりあえず、光GENJIバージョンで。


最近家から歩いて10分くらいの図書館へ行くようにしている。
種々の作業をするためには自分を作業用のモードにチューニングする必要がある。
それを一から自力で組み立てるのは至難の業なので、環境づくり、ということで図書館。
だいたいパソコン利用席に座って、パソコンで大学のレポートを書いたり調べ物をしたり予定を立てたり、いろいろなことをしている。
図書館にいる者たちは概ね静かに利用するという規則、というかそこに働く強い磁場みたいなものに従って行為しているのだが、時々そこからはみ出す人間もいる。
例えばそれは子供であった。親に静かにしなさいと怒られながら、とぼとぼと後を追う小さな子供。

例えばそれは老人であった。向かいに座る女性に声をかける、「この本、難しい」と。その女性は日本語を解さなかったから、コミュニケーションは成立しなかった。咄嗟にひねり出されたであろう「ベリーディフィカルト」が音も立てずに床に落ちた、気がする。

作業をするにはこういった外部のノイズが意外と大事だ。

集中しすぎると自分の内部にストレス、それ未満の有象無象が堆積されて、やがて糸が切れてしまう。

それが、外から適度なノイズがやってくることによって集中が阻害され、私の中の何かたちもどこかへ退散してしまう。

だから、ある程度画一化されて余剰を失った大学の図書館よりも、多様な人を迎え入れている地域の図書館が落ち着くのかもしれない。

俳優の技術やその言語化のことを考えたい、というのがこの公演に参加する動機の一つだ。しかし、これが案外難しい。
いま目下取り組んでいる作業は戯曲の読解とその上演プラン/システムの構築であり、実際に舞台に立って演技するということとの連関が見えにくい。
ただ、この段階から違いがあるのかもしれない。その差異は上演の際には不可視化されてしまうが、見えないところから影響を及ぼしているのではないか。
「これは演劇ではない」の俳優ブログでテキストに向き合うことの大切さを説く山縣太一の文章を読んで、そういうことを思っている。

12月に一回だけ稽古に行った時と1月の一番最初の稽古で、おそらく自分の準備不足と経験の欠如から稽古にうまく参加できなくて辛かったし悔しかった。
俳優ってすごいんだなと再認識した。いや、正直ちょっと俳優という職能のことをナメていた部分があり(軽視ということではない)反省しきり。
そのあと、だいぶ頭がグルグルしてしまって焦りと不安と倦怠感でよくわからないことを口走ったり書き散らかしたりして人を困らせるなどしたが、
でもなんだかんだ周りの人は優しく尊重しながら適当に扱ってくれてるのだと気づき、少し落ち着いて自分の方法を掴み取りつつある。
ただ、いろんな人が聞き取りをしているし、単純な興味として他の出演者がどのように上記の作業を行なっているのか聴いてみるのも良いかもしれない。
そうなったら協力してくださいね。


演劇、を始める、らしい。
あんまり実感がない、な。
まあ、元々結構みてるし。

なぜ、演劇を始めるのか、
という問いはむずかしい。
恐らくあまり理由はない。

ちょっと前までは本気で、
僕は演劇のことが好きだ、
ということができていた。

それは今では怪しくなった
好き嫌いではなくただやる
それがぴったり、なのか?

演劇に対して期待がない。
しかしそれは全くもって、
やりたくないのではない。

ただやる、ただやる、ただ
やる、ただやる、ただやる
、ただやる、ただやる、た

きっと演劇が好きだ、けど
好きだからやるんじゃない
ただ、演劇を、やります。

2019/01/21 10:15 小駒豪

照明美術の、小駒です。書簡です。

 

観劇の感想なんですが、、

 

ウティット・ヘーマムーン(小説家)× 岡田利規(演劇作家、小説家)
『プラータナー:憑依のポートレート』を見て

 

原作:ウティット・ヘーマムーン
脚本・演出:岡田利規
セノグラフィー:塚原悠也
演出助手:ウィチャヤ・アータマート

出演:タイの俳優人

 

この公演

以前、石倉さんが、稽古の時にちょこっと話してくれたのをかすかに覚えていて、、

たまたま、旅行先でやっていたので、見に行った。

 

タイで製作されパリで公演されたのを見たのだが、タイ語での上演に、フランス語字幕だったので、せりふは、全くわからなかった。その上、、4時間という、長い公演だと全く知らずに見た。

それでも、目の前で、起きていることを見ているだけで、4時間飽きなかった。

 

どんな公演かできる範囲で、

簡単に説明します。

 

公演は、吉祥寺シアターより少し小さいような、、中程度の大きさの劇場で、行われた。客席は通常通り使われていたのだが、それ以外の劇構造、、

幕、暗転、舞台照明といったものは、ほぼ使われていなかった。

 

開場時間中から、舞台上にはどう見てもスタッフと思われる人たちが、PCに向かって座っていたり、しゃべっていたり、何かの準備をしていたりした。

セノグライフィの塚原悠也も座ってる。

 

スタッフらしき人がいるのは、舞台の左右の壁付近、、外周という感じ。

装置は、スクリーンや、脚立や、ソファやら、プラスチックの車止め、蛍光灯を直立させたような照明器具などなどが、そこかしこに用意されているが、それがセッティングされているようには見えない。雑におかれているように感じる。

 

まず、目の前の空間のどこからどこまでが舞台なのか全く認識できない。

中心部分が舞台なのか?では、外周は?と、疑問だらけ。

 

開園時間になると、ぞろぞろと、タイ人が、そこにあらわれる。

しかし、スタッフらしき人々と、同じような位置に落ち着くので、

違和感を覚える。

 

しかし、そのうち、そのタイ人が、観客に向けてセリフを発し始め、スタッフらしき人も、各々、たんたんと、、装置の移動やら、作業的なことをはじめた。舞台上を撮影するスタッフがいてその映像は、リアルタイムで舞台後方の大きなスクリーンに映し出されたりしてる。照明を移動させているのが照明さんだろうか。

スタッフは、役者の後方とか、近くにいても特に気にすることはない、、

そのあたりで、これは、舞台装置をセットするといった、転換作業を隠さない。ということなのだな。

と一回、合点がいった。

 

しかし、それもつかのま。

気がつくと、役者とスタッフは一緒に作業をしているのだ。一緒に脚立を動かしたり、スタッフと、しゃべっているようにも見える。

役者もスタッフやってるじゃん。

 

ということは、、、

その辺りで、、

どうやら、この公演のセノグラフィは、身体も含んでるようだな。

と思い始める。

スタッフの身体も役者の身体もセノグラフィだし、道具だと。

道具になったり、役者になったりしていい、とされているんだなと。

 

しかしさらに時間がたつにつれて

スタッフと出演者という役割の境界は、どんどん無くなっていき

終盤には、スタッフと役者はもみくちゃになって、取っ組み合いはじめた。

 

あーコンタクトゴンゾだ。

装置?道具?人間?役者?

そういう役割など、もうない。

もうぐちゃぐちゃの団子状態だ。

 

と思ったあたりで、4時間経ってた。

コンタクトゴンゾの塚原悠也がセノグラフィとして、舞台上にインストールされてた。

というのが僕のみたこの公演の、肝だったと思う。

~~~

 

東京ノート、、

照明と美術、という役割の、僕は、何をするのか。

セノグラフィって、今は、舞台美術と訳されるけれど、

もともとはたぶん照明、美術も含んでたと思うので、セノグラフィをやる、ということかもしれない。

具体的には、上演をする空間の在り方を、提案し、デザインするということをやるつもりです。それは照明も美術も同じです。

両方やることで、照明先行で考えたりもできるのは良いけれど、、仕込みは大変です。

 

美術については、

美術については、客席配置から、考えたいし、どらま館の良いところがなくならないようにしたい。もともと狭いので、狭く感じさせないようにしたい。ブラックボックス、そのままなのは、どうかなあ、、と思っている。

 

照明は

目指してるのは、自然光とまでいかないまでも、舞台上で、起こっている劇に従属しない、独立した照明。雲がゆっくり動いているような、照明ができたらいいな、という理想があります。

シーンにあわせた、最低限、必要な明かりだけでなく、存在感のある照明をつくりたいと思います。何が光っているのか、ということを意識したい。照明のオペをする時は、役者と同じように出演してるような気持ちでやってます。その場にいることを、隠す必要ない、といつも思います。

2019/01/22 16:49 冨田粥

お疲れさまです。冨田です。

今、東伏見のジョナサンでこれを書いてます。和風ハンバーグ定食を食べたあと、ドリンクバーでここに居座る時間を延長してるんですが、そのドリンクバーのアイスコーヒーがまずくて微笑ましい気持ちになっています。

僕は2017年に上京してから演劇を見始めて、制作に関わるようになったのが2018年になってからです。高校のときは芸術鑑賞で観た演劇のこととかぜんぜんおもしろくないと思ってたので、いまこうして制作に携わっているのが不思議な気もします。というか正直、いまなんで演劇を観てるのか、なんで制作に関わってるのかよくわからない。なんというか、そっちにいけば死なないだろうという気がして歩いてたらここにいる、みたいな感じです。

この公演に参加する理由のひとつとして、正解を探そうとする態度を自分から引き剥がしたい、というのがあって、黒木さんが始めた読書会の2回目を主催したときもそういうことを考えてました。人間関係とか何か見たときの感想とか授業のレビューシートとか、どうにもぜんぶ正解があってそれをちゃんと答えないといけないという強迫観念めいたものが小さい頃からずっとある。だけど、それは、ぜんぜんそんなことなくて、そういう態度はすごく不誠実なことだとここ2年くらいでやっと気づいた。ただ、気づいただけで実践できていないという自覚があり、そういうのをどうにかするぞという気持ちで今です。そういうわけで、稽古場では自分がどう思ったかみたいなことをまだぜんぜんうまく話せないし、どうやってその場にいようか定まらなくて毎回すごくそわそわしてしまう。近々、みなさんにインタビューみたいなのをする予定なんですが、それもほんとうに緊張してます。どうぞよろしくお願いします。

そこそこジョナサンに長居してしました。短いですがこれにて失礼します。みなさま風邪などお気をつけください。僕も気をつけます。

2019/01/24 19:17 石倉来輝

僕が住んでいる家のトイレには世界地図が貼ってあります。去年初めて国外に行きました。北京、台北、ブリュッセル、台南、リスボン、バンコク、トゥールーズ、パリ、サンパウロ、デュセルドルフ、フランクフルト、訪れた国を地図上で探して、ぼんやりとその国の形とか首都の名前とか隣の国との境界線とか位置とかを、用をたしながら眺めていると、その国で自分が見た景色とか食べた味とか街の匂いとか音とか感触とかの記憶が鮮明に思い出されます。けど、あの時自分がこの地図上でいうとどの辺にいたのか、現地で自分が経験した身体感覚が地図上の情報とあまりにもリンクしなくて、違和感を覚えます。その国から自分の住んでいる日本まで、帰りの飛行機を思い出しながら指で地図を辿ります。たどり着いたこの“JAPAN”と書かれた国が“TOKYO”と書かれた首都がたった今、僕が用をたしているこのトイレのはずなのだけれど、ここで感じる便座の温度とか早く出て!って妹がノックする声とか音とか自分がさっきした排泄物の匂いとかそういうものが、やっぱりどうしても“JAPAN”“TOKYO”からはしなくて、自分とは関係のない遠くのどこかに思えてきます。

パイロットになるためにフロリダへ留学している友達のことを思い出します。まだ行ったことのないこのでっかい国“USA”のどこの辺がフロリダなのか馬鹿だから僕にはわかんないけど、とにかくデカくて派手なんだろうなあAMERICAN DREAMかぁ、、いいなニューヨークとか行きたいなー!とか言って勝手に彼とアメリカにレッテルを張っている自分に気づきます。彼がLINE電話で「いやそんなことないから、普通に一人暮らしすんの大変だから」とお米を食べながら話していた姿を思いだして、「フロリダ 景色 街並み」と検索してみたりします。次のLINE電話でたぶん彼は吹き出してから「あのさぁ~そんな綺麗なとこばっかじゃないから」そう言ってくれる気がします。

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