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東京ノートをめぐる

緩やかな書簡  5

2019/02/27 23:52 畠山峻

ちょっとこれ書簡だかなんだかわからないのですがこないだやった本番前思ったりしていたこと自分の為に記録の為に書いてみました。面白くないと思うけど。

本番前。指示があったので受付から入り口の間の道に待機する。ごちゃごちゃした考えを頭から追い出す。体に集中する。自分の体足先までまんべんなく力を入れて順番に抜いていく。左足から始めて、腰を通して右足に抜けるまた腰を通して今度は上側に上げていく。肩とか首。特に肩甲骨から指先から繋げられて指先から抜けさせていく。繋がらない時は腰を曲げたり重心をずらす。人が通っている。目の前を人が通っていく。入り口だから。お客さんが通る。それをただ眺める。認識はするけど持っていかれないようにする。関係はしないけど一緒の空間に居る。自分自身に喋りかけることをやめる。出来るだけやめる。少し緊張しだして緊張しているなということを考えはじめる。考えを追い出す。鼻呼吸を集中してみる。意識を出来るだけ下の方に下げていく。セリフを確認したい欲が出る。消す。消えるのを待つ。正解はないし。もう知ったこっちゃない。段取りを確認したい気持ちを追い出す。頭でどうにもならないし、予期するべきじゃない。舞台上の段取りに直面しない限りそれを予期して考えることはやめる。その時に思いつくだろう。大丈夫だ。思い出すのではなく思いつくこと。俺にはそれができる。当たり前にできる。考えることは次につながってしまうし台本と段取りを知っているということから答えあわせをしてしまう時最悪な感じになる。直面すること。思いつくこと。ふと喋ること。喋り終わったあと体に残る感じをじっくりと感じていくこと。通時的に書かれた戯曲を共時的な風景として感じてそこに居ること。その感想を漏らすこと。

開演キューをもらう。

裏口を通って舞台裏に向かう。ここは祐天寺だ。立教ではない。散歩をする。鳥がいる。いい天気だ。「いい天気だ」と口をついて出る状況を許す。自分を許す。ぶつぶつと喋りながら歩く。ここはカーナピーナであり僕はカレーを食べた。ごちそうさまをいう。ありがとうござましたの声が聞こえて扉を開けて舞台に向かう。考えてセリフを言いそうな時はいったん忘れてでも体を使って発話する。ことをする。それだけをする。

2019/02/28 08:24 渕上夏帆

みんなの書いた書簡を読み読み。。。

そうですよね、急に春になってきたよね。

 

今年の花粉はすんごいぞって話は毎年聞いてるし今年も言ってらぁとしか思わないんだけれども、今年は十年ぶりくらいに花粉を感知しているので今年の花粉はやっぱりすごいんだと思う。

わたしの型にもがっちりはまってきているよ。

みなさんの型は大丈夫ですか。

 

 

「はい、花粉」

と思って起きたら雨が降ってた。

最悪だよ、花粉は雨上がりが一番やばいらしい。

そういえば昨夜稽古場から駅までの道も降ってた。

 

 

昨日の稽古おもしろかったなぁ。

 

 

なんだかこの稽古は毎日が続いていかないからまじ厄介。1ミリくらいは引き継げても、収めていくことはできない。それでもやっぱり毎日は続いているからまじ厄介だよ。やばい言ってる意味わかんないな。毎日がエブリデイならいいのにね。

でもエブリデイじゃなくても、それでもわたしは毎日が愛おしい。今日はなんだかハッピーな気分だからだと思う。

 

 

信じられなきゃいれない。

だからこそ産まれていくものに最大限の敬意を。

そしていつもはすんなり産ゆえに見逃されてしまうものたちに胸いっぱいの愛を。

 

 

大きな目で見留めて、すこやかに育てていきたいよ〜う。

そんなかんじで。

 

 

写真は稽古場でわたしの隣に出現したかわいい生き物。わたしこういう靴が欲しかったんだって思い出した。

 

 

 

ふちこっぴ  2月最後の日の朝

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2019/03/09 00:14 石倉来輝

初日、つまり僕が出会ったこともない人の前での上演を終えた。

今は思いのほか打ち上がった初日打ち上げを終えて、早稲田から自宅までの東西線に乗ってこれを書いています。

 

今日の朝、東京ノート 初演の朝に僕が乗った車両には、2020年に向けた芸術芸術のフェスティバルかなんかのPR広告で埋め尽くされていました。

そこには、歌舞伎とか日本舞踊とか公共劇場がやっているオペラとか演劇とかの写真に、習字で"tokyo"と冠が付いていました。

僕は東京で生まれました。自分の生まれたこの土地を英語では"TOKYO"と書くことを知ったのはつい最近です。

僕がこれから、少なくとも11日まで上演するこの「東京ノート」は、英語にならない東京でありたいと思いました。

それってどんなものなのだろう。

「お互いが潰し合っている」と言う問題が打ち上げ中に上がりました。

自分は酔った勢いに任せて無責任にこの上演は「社会の縮図」だと口走りました。

劇場という囲いの中で、潰し合っていた我々は果たして何に潰し合わされているのか。

それが"TOKYO"が、切り取ることのできない部分なんじゃないかと思ったりします。

自分は今、これを打ちながらつり革に手を伸ばしました。

掴んだのは空気、その後に自分の拳で、そこにつり革はありませんでした。

僕は今何につり革を掴もうとさせられたのか。

ありもしないつり革を無意識に掴もうとした自分と、自分をそうさせる何かに恐怖を覚えます。

少なくともこれは、僕の住んでいる東京の一部です。

明日は9時に起きたい。

明日が来る、ということを無意識に信じることができている、信じされられている自分を幸福に思います。

また明日。

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