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東京ノート インタビュー

石倉・本田

亜人間都市『東京ノート』座組のみなさんへのインタビューシリーズ。

ラストを飾るのは、出演の石倉来輝さん、本田百音さんです!

(聞き手・構成​ 冨田粥)

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石倉来輝さん、本田百音さん

——まずは、お二人の出自をお伺いできますか?

本田:私は、今大学3年生で、大学1年のときから演劇サークルに入ってます。

もともと、クラシックバレエをやってたんですが、高校のときに、ちょっと反抗的な心を持ち始めて、「なんでバレエやってんだろう」と思ったんです。楽しまなきゃいけない踊りだったのに、ちょっと悲しそうにやったら先生に違うって言われて、あー違うのかって思ったりとか。でもそういうことをやってみたいなって思ったから、何だろうなと考えたときに、演劇なんじゃないかなと思い至りました。

演劇だと、言葉を喋れるから、バレエよりももうちょっといろいろできるんじゃないかなって。演劇をまず観たことがなかったので、足を伸ばして演劇を観に行って、それでちょっとよくわかんなかったんだけど、電車乗ってみんな死ぬみたいな、死ぬ電車にみんな乗ってるみたいな、なんか炊飯器あってご飯とか食べてるから、あ、自由だな~おもしろいな~って、なんかお客さんも笑ってるし。そう、お客さんが笑ってる自体が私は、今まで、あの、ありえなかったから、お客さんのことかぼちゃだと思ってたから、踊ってるとき。だから、すごいなんか近いし、まあちょっと小さいし、へ~そんなこともできるんだと思って。まあでも、やってみようかなって感じですね。

 

——石倉さんはいかがでしょうか。

 

石倉:難しいですね、どこから話そう……高校生のときになんか都立総合芸術高校っていう、新宿にある学校があるんですけど、そこは、舞台表現科と音楽科と美術科があるんですね。その演劇専攻を受けて、そこに通ったっていうのが、自分にとっての演劇の始まり? 演劇って名前ついてるものを演劇だと思ってやったのはそれが初めて。そこですね。で、高校を卒業し、2年間くらいフリーで舞台に出て、去年の夏くらいに劇団員になり、今に至ります。

 

——今回の作品の稽古はいかがですか?

 

石倉:なんか自分の思ってることを言葉にする時間が多いし、まず自分はこう考えていますっていうことを、その権利が結構あらかじめ平等にあるなって感じはします。

 

——石倉さんは、そうした場をどう思われますか?

石倉:自分のやってることを自分の言葉にする機会があるのはいいことだなって思うし、自分がやってることを自分ではない人に共有する機会が設けられているのはいいなって思います。自分のどの部分を共有すればいいのかとか、どこまでをお互いの前提とするのかが難しいなあって思います。各々に任せられているといえばそれだけでしかないような気はするんだけど。それが難しいな。

あと、台詞を覚える必要があるのか問題は今回めちゃめちゃ考えてます。

 

——台詞を覚える必要を考える、とは……

 

石倉:僕、毎回ほんと俳優向いてないなって思うんですけど、あの、台詞なんで覚えなきゃいけないんだろってまじで毎回思うんですね。でもなんか、いつも、なんか覚えてた。別に自覚せずに、自分で決めずに、覚えさせられてたとも言えるんですけど、今回なんか、ちょっと待ってこれ覚える必要あんだっけこれって(笑) え、ちょっと、なんで自分覚える必要があるんだ? 覚える必要はないのか? もはや、みたいな。そこは自分選択していいのか、いけないかのか? みたいなところは、考えてます。初めて考えてる。

 

——覚えないというのが選択肢としてあるんですね!

 

石倉:戯曲から何を抽出するかってことだと思うんです。たぶん戯曲から文字情報まで的確に抽出する必要があるのか否かみたいな。いやあると思うんですけど。

 

—— 一字一句覚える必要があるのかないのか、ということでしょうか?

 

石倉:そうそうそう。今回は思ってます。それは『東京ノート』を上演します、ていうこと自体に、強い固執を感じないからっていうか、『東京ノート』がボンってあって、みんなの前に、それと自分との関わり方をみんながそれぞれの方法で見つけるみたいな感じがしてるから。本田さんは?

 

本田:この稽古始まる前は、人の言葉をすごいてきとうに扱ってたんだなと、なんにも聞いてないで「ああはいはい」って言ってたんですけど、それじゃだめだなって思うようになった。相手が何を喋ってるのかっていうのを、ちゃんと知って、そうじゃないと前提ができない。軽く流してしまうと、自分もなんかダメになっちゃうから。

 

石倉:確かに。「それでもいいんじゃない」だと、自分がいられる土台がない、みたいなありますよね。

 

本田:だからこういう姿勢を学んでるっていうか。

 

石倉:イエスかノーかちょっと分かんないです、て言う意思表示みたいなのが求められてるんですよね。

 

本田:今まで「ああ」で済ませてたものを「分かんないです」って相手にも言わないと、前提が作れなくて、どっちも曖昧になっちゃう。だからそれをやろうっていう気持ち。てか、そうじゃないとダメだなって思って。

 

石倉:でもなんか、言えばいいってわけでもないじゃないですか。自覚の問題かなって思ってて、意識とか自覚とか、なんかその、自分は今発言する、とかしないとかを選択するみたいなとこなのかなって思う。

ていうのは、なんとなく「ああはいはい」って言ってた自分も、なんかどっかしらでそれを言うことを了承してはいたんだけど、そのことを自覚してないだけじゃないですか。それを自覚する機会だった。

 

本田:そうですね。

 

石倉:そんな感じしますよね。

 

本田:だから普通の生活でも、友達と喋ってるときとか、「どういうこと?」て言えるようになった、私。なんだろう、今の自分がそうある方が、いいと思ってる。あとなんか、私写真撮ることが好きなんだけど、「私の写真撮って」ってけっこう友達に言われたとき「オッケーいいよ、いつにする?」みたいになんも考えずに答えてたんだけど、本当はなんかちょっと嫌で、人の写真撮るの。「撮る/撮られる」みたいなのとか、「顔を撮る」ていう目的があるのが嫌で。でも100%嫌ってわけじゃないから、撮って欲しいっていうのなら、「ああいいよ」って言ってたけど、今は「いいけど、ちょっと、それだけが目的になるのは私は最近嫌、という感じがある」っていうのを言っちゃったんですよ。そこにたぶん、稽古の影響があって。でも、なんか言ったことにより、彼女が「あ、そうなんだ」って、なんかコミュニケーションが進んだっていうか。

 

石倉:なんとなく言わなくてもわかるよね感?

 

本田:うん、あっちもなんかちょっと嫌なのかなって思ってたらしくて、でもその微妙な空気みたいな無視してた。今なら次もし撮ることになっても、私のそういう状態を相手がわかってるし、その上で、たとえば目的じゃなくて手段として撮るようになるかもしれない、なんかどっかの場所行って、その場所で撮るとか、そういうふうに二人の中でできていくから、そういう風になるのが心地いいなと思う。

 

石倉:なんか本田さんは、発言自体は主張でも、主張の質感が柔らかいって思うんですよ。僕、ホント自覚してないんだけど、圧が強いらしくて。そうなんだって思うんですけど、思ったときにはもう遅いみたいな。僕が主張すると、なんかズタズタって、その人に「はい」って言わせちゃう構図が出来てしまっていて、それもなんかしんどい。

僕の理想は、僕の中でイエスかノーかは自覚してて、「僕はイエス」って言ったときに、相手は「自分はノーだ」とか「自分もイエスです」とか「ちょっとわかんないです」って言ってくれる状態がいいんだけど、自分の圧が強すぎる問題で、「イエス」って言わせちゃうみたいな。とか、過去の本田さんみたいに、「ああ」っていう人を生み出してるんだなって気づいたことは、けっこう影響受けてるかも。

 

本田:私、石倉くんは言葉にするのすごいなあって思ってる。尊敬の意味で。

 

石倉:え! やったー。そうですか? ぜんぜんですけど。

 

本田:いや、すごい、石倉くんを見てて、ぱって入る言葉がなんかかっこいい。すっとこう入る。今自分はこう思ってて、こうこうこうだから、てイエス・ノーの提示をしてくれるときに、うわ~よく出るなあ~って。

 

石倉:ただ単に、その自分の良し悪しの基準があるだけかもしれないですけどね。逆に視野狭い可能性もあるなと思ってますけど。

 

本田:でも、芯があると思う。

 

——『東京ノート』の戯曲や上演についてはどう思ってますか?

 

石倉:戯曲に対して思ってることと上演に対して思ってること、けっこう自分違ってて。なぜかっていうと、自分はですけど、今回その『東京ノート』をやるって比重よりもどうやるかっていう比重の方が自分の中ではでかいような気がしてて、それはなんかその、自分が黒木さんに一緒にやろうよって言われたときのファーストインプレッションなんだけど、東京ノートがどうっていうことがどうってよりも、それを立ち上げていくっていう過程の比重のことをすごい思ったから、『東京ノート』に何を思うかっていうことと、この上演に対して何を思うかって、けっこう自分の中では大きくベクトル? が違くて。

 

——まずは戯曲についてはお伺いできますか。

 

石倉:戯曲については、なんかもう読んだら完璧って感じ。じゃないですか? システムが。ちゃんとされてて。とりあえず読んだら東京ノート上演ってなる、みたいな。システムがすごいなって思う。それと、僕は東京ノートを映像で見たことがあるんですけど、読むと「あ、こんなこと言ってたんだ! ぜんぜん違ったな~」みたいな。

 

——見たときの感じと、読んだときの印象が違ったんですか?

 

石倉:違った。こんなに登場人物みんなどうしようもないんだ~、みたいな。大したことない人たち、大したことない大枠みたいな? 大したことない人たちを大したことない人たちにさせてる大枠の世界っていうか、そういうものがこんなに関われているんだっていうのは、読んで初めて気づきました。

 

——では、上演の方はいかがでしょうか。

 

石倉:今回その、7人で『東京ノート』やるんですけど、『東京ノート』出てくるキャラクターって沢山いるんですね。だから、1人が固定した役じゃなくて、他の役の台詞を言ったりとかするっていうことが前提としてあって。その中でも「自分で言いたい台詞を決める」ていう、やりたい場所とか、言いたい台詞を言う、ていうので、『東京ノート』と自分との間にできた関係を、なんかどう立ち上げていくかを考える。それが他の出演者にも同じようにあるから、いまどこを目指すのか、船頭を多くしてどこ行くんだろう、ていうのは自分の中でけっこう迷い中。

 

——「先導が多い」というのは、

 

石倉:出演者それぞれの指針が、『東京ノート』とのそれぞれの関係があるから、それぞれ向かってるところがあって、それがぶつかったりとか、「あ、じゃあそこ一緒に行こうよ」てなったりすると思うんだけど、果たしてそうやってこの上演はどこにたどり着くんだろうか? ていう。それはじゃあ一人でやればいいじゃんってことにもなるし、じゃあ、それをみんなでやるっていうのはどういうことなんだろう? ていう。それがわかんないなあって感じですね。わかんないですねえ。どうなんですか?

 

本田:なんか最近、ジャズの漫画読んでるんですよ。出てくるバンドにリーダーがいるんですけど、演奏のシーンでその人のソロがあって、でも次は別の人がソロを演奏する、ていうような移り変わりがある。でもなんで今ソロが終わったのかわからない。そういうのがちょっと面白いんだけど、それがちょっと似てる? ていうか。

 

石倉:それでいうと、本田さんなんなんですか、パートとか。あ、じゃあ僕なんだと思いますか?

本田:あ、さっきの稽古の中で、リーダーの人かなって。私楽器はあんまりわかんないんですけど、その人は主旋律を吹いてたりする人で。でもその人からふいっと違う人のソロになったりするんですよ。その人が、率いてるわけじゃなくて、なんとなくこう、ちょっとリーダーなのかなって感じ。

さっきの稽古のある場面でその主旋律の人っぽかった。でもだからって王様であるわけではない。ていうのが似てるなって思って。主役とかじゃないけど、引率力になってて、みんながそこに集まってるみたいな。

 

石倉:言ってる意味、僕はわかります。おんなじような感じで、自分中学のとき陸上やってたんですけど、なんか陸上みたいだなって思ってて。みんな日本代表なんだけど、みんな個人種目。

 

——それぞれ出てる種目が違う?

 

石倉:違う、みたいな。だから、本田さんとか、本田さんは800m走代表。みたいな。中距離走って感じ。右京くんは、砲丸投げ。で、畠山さんは、なんだろうなあ、3000m走とかかなあ。渕上さんは100mハードルって感じ。航くんは、棒高跳びとかかかなあ。

 

——自分はどうですか?

石倉:自分? 自分はたぶん超短距離なんですよ。たぶん。短距離選手なんですけど、最近実は長距離選手とか憧れてて、気持ちとしては。うーん、1500m走とか3000m走とか走りたいんだけどね~って感じ。

——あとは黒木さんですね。

石倉:黒木さんなんだろうな~、ジャベリックスローかな。知ってます?

 

本田:わかんない。

 

石倉:やり投げみたいなやつです。簡易版みたいな。

 

本田:へ~

 

——本田さんの、先ほどのジャズのお話は上演についてのお話だったかと思われますが、戯曲についてはどうでしょうか? 戯曲に対して思うことは上演に対して思うことと違いますか?

 

本田:違いますね。なんか、私も映像で見たんですけど、青年団の。うん、90年代だ、みたいに思って。実際に90年代の演劇ですけど。

 

石倉:それは90年代っていう時代にそういうイメージを持ってるんですか?

 

本田:なんかバブルが終わって、こういう人、なんか「弱い人いるよね」みたいな。強いものがこう崩壊して、弱いものもいるよね、みたいな。私最近ジャニーズ好きなんですけど、ジャニーズで言うと光GENJIとかのときはバブル。すぐハワイ行ったりとか、キラキラ! みたいな、お金投資! みたいな感じ。それでSMAPが90年代なんですけど、なんか「頑張りましょう」みたいな。「弱いけど頑張りましょう。おれたちちょっと、強くないけど、がんばりましょう」みたいな。『世界にひとつだけの花』とかも「弱い人っているじゃん、でもオンリーワン。お前はオンリーワン。みんな弱くていい」っていう。その感じを、感じました。

戯曲から感じたのかはわかんないですけど。青年団の、図書館にあった上演映像と、SMAPの「がんばりましょう」みたいなのが似てるのかなって。それは私が勝手に年代だと繋げてたんだなって思ったんですけど。

 

——ありがとうございます。では最後に、上演への意気込みをお伺いできればと思います。

石倉:『東京ノート』と僕たちの関係から、それとは別のまた新しい関係を受け取ってほしいなって。

——それはお客さんにですか?

 

石倉:うん。思っております。『東京ノート』の文字とかシステムとかそういう情報じゃなくて、もっと『東京ノート』が描いてた背景とか、掴んでるモチーフみたいなやつを提示できたらいいな~みたいな気はしています。

 

本田:さっきのジャズ漫画の話ですけど、ジャズにも、ダメなジャズもあるんですよ。それは、一人がぐいぐい行きたくて、お前も来い! てやってるのに、他の人はそれを意にも留めないような。それじゃジャズにはならないっていう。それは態度として「わからないです」じゃなくて「ああ、ああ」みたいに流しちゃうようなことだと思う。だから、私はちゃんと態度として人からもらったものを受け取っていきたいし、自分でも手渡していきたい。

 

石倉:でもわかる。自分のパフォーマンスと、それをやってる土台を共有するのって、別なベクトルでもあるわけじゃないですか。確かに、どっちかじゃなくてどっちもやりたいですよね。

 

本田:夢中になりすぎることもなく、人に手渡すことも、相手から受け取ることもやれたらって。でもそれは100%やれることって無理だと思うんです。だって、一瞬一瞬のことだから。でもそれをやろうとする思い。そうしたいっていう思いですよね。

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石倉来輝

1997年10月18日産まれ。東京都出身。2016年、都立総合芸術高校 舞台表現科を卒業後、俳優として活動を始める。2018年より劇団ままごとへ加入。

本田百音

1996年生まれ。北海道旭川市出身。1998年クラシックバレエを始める。ザ・バレコン札幌、北海道バレエコンクールにて決戦出場。その創作部門に出場した際、キミホハルバードさんのWSにて影響を受ける。2012年創作ダンスを始める。2016年演劇を始める。現在大学三年生。

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