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東京ノート インタビュー

藏下・畠山

亜人間都市『東京ノート』座組のみなさんへのインタビューシリーズ。

第2弾は、出演の藏下右京さん、畠山峻さんです!

(聞き手・構成​ 冨田粥)

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写真左から藏下右京さん、畠山峻さん

--最初にお二人の出自と、出演のきっかけについてお伺いできますか?

藏下:普段は、フリーの俳優として活動してるんですけど、共演者の渕上さんと2人で、「藏下右京×渕上夏帆 二人芝居」っていうユニットを持っていて、そっちのほうでは自分で企画・演出・出演全部やってます。

 

畠山:僕はフリーでお芝居をしてまして、自分の団体つくって脚本書いたりとか、いろんな形で10年くらい演劇に関わっています。
今回出たのは、知り合いに「なんかおもしろい劇団ないかね」って訊いたら、「亜人間都市がおもしろいよ」って言われて、あ、そうなんすかって思って、それでワークショップを受けて、お声をかけていただいて、今現在って感じですね。

 

藏下:僕は、一昨年の10月にあった亜人間都市の公演(『語りえぬもの』)に出たんですけど、単純にけっこう黒木さんと話す機会もあって。その中で、次も出てくれないかみたいなことを言われました。『東京ノート』やりたいって話を最初に聞いてて。僕、『東京ノート』を見たことがなかったんですよ。でも、それがいいなと思ったんです。観たことあるときってけっこう敬遠しちゃうんですけど、ないから逆にいいかなって思って。

 

畠山:やっぱその一回、亜人間都市出てからもう一回出ようかなっていうモチベーションや手応えがあったんですか?

 

藏下:一回出てみて、僕は単純にそれまでと結構違うやり方で、自分でやったと思ってて。それまでは、僕はすごく内面を作る感じだったんですよ。役を与えられたときに、このキャラクターがどういう感情で動いているみたいなのをほんとにちゃんと緻密に考えてやっていくみたいな。そういう感じだったんですけど、『語りえぬもの』では、そういうのではなくて、けっこう身体を含めて作るみたいなことをけっこうやって、それが単純に自分の中で新しいやり方だった。
ということもあって、開拓心があるんだなって、そこはけっこう気が合うっていうか、たぶんまた次やるときも違うやり方を持ってくるなという予感はあったから、じゃあ、次もちょっと出てみたいなって。

 

畠山:そしたら、今回だいぶ違ってる?

 

藏下:ぜんぜん違いますよ。なんか、根本からもう丸ごと違うと思います。まあ、うっすらと繋がってるかもしれないけど、かなり前回とは変わってると思います。

--なるほど。畠山さんは稽古について、いかがですか。

 

畠山:おもしろいですよ。でも、そのおもしろさをフルにおれが今活かしきれてるかっていうと、ちょっとわからない。もっとこれ、いい関わり方ができるんじゃないのかなっていう反省を日々しています。
あとは、やっぱり「おれは、演出家に頼りすぎてたんだな」っていうような場所が多かったですね、すごく。ということを思いますね。ふらっと渡されたときに、何をしたらいいのかわからなくて。いい悪いを決める基準て一体なんなんだろうなって思います。いい無責任さってある気がするんだよなあ。でもそれがなかなか、おれはできてないと思う。というのはきっとおれ自身、あんまり奇をてらいたくないっていう意識があって、それとの戦いですね。
でもまあ、演出っていう言葉を気軽に使うことに対して、なんとなくもうちょっと考えようかなと思ったね。自分が演出っていうことをやろうとしたときに、「おれは演出です」って言えば、稽古場で演出家の立場になるっていうのを、なんとなく経験したことがあって、あれいま考えてみると、ものすごく怖いことだよねと思った。
その人の実績とか、能力が実証されていないのに、その人がその場に座れる。だから、自分のお芝居の団体でも極力、口は挟まないような方向になってったんだけど、もっとね、関わり方をちゃんと考えないといけないなって気がした。

 

藏下:そうですね。僕、なんだかんだ、俳優が自律的にやるみたいな感じで自分で企画やってるんですけど、でも他の団体出るときに、どうしても、気づくと受け身になってるなっていうことを今回再認識しました。別に演出家に教えを請うとかじゃないけど、やっぱり、向こうから提示されるものを受けてこっちが返すみたいな作り方をしてた。返すことによって僕は、自分から提示していこうとは思ってたんですけど、でも、まず演出家ありきっていうのはなんかずっと常にあったなっていう。

 

畠山:うん、そうだよね。最終的にはその人がいいって思わないといけないわけだし、そうじゃないと残されないから。でも、そこまで削ってしまうとおかしな話になるんだけどね、それって。

 

藏下:結局答えが一個っていうことになっちゃいますよね、演出家に対して、提示するってことになると。

 

畠山:だから、誰が正解言えるのかなっていう。本来は言えないんだろうけど。

 

藏下:そうね。今、その誰も正解を持ってない状態が不安かもしれない。でも、正しいと思って。稽古してるときに、見てる人がいろいろ感想言うけど、どの人も間違ってないし、どの人も演出家じゃない。だから、誰かの意見だけをすくい上げて作るわけじゃない、作っていいわけじゃない。かと言って、選びとらずに、こっちが黙って粛々とやるって言うのも難しいとは思う。

 

畠山:それもまあ、選んでるってことになるだろうけど、せっかくこの場所ならねって気がしちゃうんだよね。

 

藏下:だから、不安定な状態をいかに続けるかみたいなのは大事なのかなっていうのは思ってて。それに耐え続けられるかみたいな。うっかりすると、答えを求める方に戻っちゃうっていうか。それはやっぱ僕も今のやり方に完全に適応できてるわけじゃないから。

 

畠山:そうだよね、約束事のない場所をポジティブに捉えるっていうことはけっこう難しい話なんだなって、つくづく思って。でもそれがいいんだよ。演出とかの関係でよくないなって思うことの問題を考えると、どうしても地盤は崩れるわけだ。だから、そんなんわかりきってんだよなって思いつつ、大変だなって思うよね、情けない話。

 

--『東京ノート』の戯曲を読んでやってみてどうですか?

 

畠山:最初読んだとき、ふつうにおもしろいと思ったんだよなあ。別に今も普通におもしろいとは思うんだけどね。最初に読んだときはすごいわかりやすいというか、すーっと読める話だなあとは思った。でも、何回も繰り返して読むと、いろんなところに海とか水とか、温泉とか機械が壊れるとか、モチーフが時間軸関係なくあるなって。
変な話なんだけど、あれ本開いて、さーって遠くから眺めるとけっこうきれいに見えるというか、頭に入りやすいんだよね。妙なきれいさがある。ただ、それを口に出したときにすらすら言えるなっていうこともあるんだけど、不思議なくらいセリフが覚えられないんですよね。覚えろって話なんですけど。入ってこないのよ、なぜか。

 

藏下:いや、それはね、僕も感じましたよ。かなり苦戦しました。覚えるっていう意味では。モチーフがけっこういろんなところに散りばめられてるっていうのは僕も感じてて、でも、けっこう無機質な面もあるなとも思う。
僕、今回あんまり、このキャラクターがこういう感情でっていうやり方で作ってないっていうのもあるんですけど、でもなんか作れなかったんですよね、単純に。それは戯曲がそういうアプローチを許してないのかな、みたいな。まあ、それは僕の読みですが。

 

畠山:これはおれの実力問題だとは思うんだけどさ、台本渡されて、ふつうに読む、作ってやるっていうのをあんまりにもやったことなくて、その上で、じゃあ、今度は台本あるから作ってやってみようと思って取り組もうとしたんだけど、何か繋がらない部分がある。
それは、まあ、そういう向かい方がしづらい本ではあるんだろうなと薄々感じている。
ひとつの態度をとったときに、その態度のままずっと突き進むみたいなのがあんまりないような気がするんだよね。
各々、世間話に散らしたりだとか、真剣な話したあともちょっとはぐらかしたり人が入ってきたりで、持続することが言葉上で一面的にはかなり難しい。

 

藏下:脚本から要請されてくるものはあると思いましたね。一見結構、自由な脚本のように見えてて、意外とそうでもないのかもしれない。

 

畠山:そうだよね。この言葉があるからおれらは自由になるというよりも、割と意外と、これ自体が制限になるというか。

藏下:何か一個ルールがあるみたいな感じですよね。

畠山:うん、だから、これは抽象的な言い方だけど、身体使ってものを言うとか、いろんなしゃべり方があって、「身体を使ってものを言う」のと「言葉のセリフ」っていうのは一致するはずなんだけど、この作品では最終的に一致しないような感じがするんだよな。最後までいっても平田オリザさんの戯曲になるような。なんか、届かない感じがする。けど、その距離感がいいのかなって気もする。まあ、可能な限り、一致させる努力はするんだけどね。
だから、感情移入しづらいというか、うわ、おれこの人好きだわっていうのが意外とない。振られた役だから知ろうとは努力するけど、読んでて好きだなっていうふうにはなんないんだよね、あれ。こと出来事自体には感情移入して、人には感情移入しないのかな。

 

藏下:僕、本谷有希子さんの小説『生きてるだけで、愛』の主人公とかがすごく好きなんですよ。読んでてめっちゃ感情移入する。でも今回はほんとにそういうのがない。感情移入する場所がないのかな? ただ、僕はけっこう感情移入しないことを、あんまり悪い意味では捉えてなくて、その分、脚本といかにずっとこう距離をとれるかっていうのは思ってますね。
これはたぶん、初期からずっと思ってることで、感情移入できないから逆にできるのかもしれないけど。本谷さんのをたとえば僕が演じるとしたら、すごく強い磁場に引っ張られると思うから、それからいかに逃げるかみたいな、逃走みたいなことになると思うんです。だけど、今回は逃走っていうよりは、戯曲と平行するみたいな感じ。

 

畠山:さっき僕が身体が届かないって話したの、そういうニュアンスに近いかな。どこまで行ってもそうなのよね。こっちがすごいブルンブルンに揺らいでも、オリザ戯曲は揺らがない感じ。それがおもしろいのかなって気はする。

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​藏下右京

1993年生まれ、大阪府出身。城崎国際アートセンターでの滞在制作を経て、本格的な俳優活動を開始。2015年に藏下右京×渕上夏帆 二人芝居を立ち上げ、企画や演出も行っている。下北ウェーブ2017選出。Twitter:@UKlack1230

畠山峻
1987年北海道生まれ。People太という演劇ユニットやってます。居直らずに生きるため演劇を続けています。

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